天進岩聖地
概要 天真庵聖地は、京畿道広州市退村面牛山里エンジャボンのふもとにある水原教区の聖地であり、韓国カトリック教会創設の先祖たちが講学を行ったと伝えられる天真庵跡を「韓国カトリック教会発祥の地」として整備したところである。李檗、権哲身、権日身、李承薫、丁若鍾ら創設先祖5位の墓域と、朝鮮教区創設者である聖丁夏祥パウロらの墓域、広岩教会、天真庵博物館、韓国カトリック教会創設史研究院があり、100年計画で推進される天真庵司教座聖堂の…
概要
天真庵聖地は、京畿道広州市退村面牛山里エンジャボンのふもとにある水原教区の聖地である。韓国カトリック教会創設の先祖たちが講学を行ったと伝えられる天真庵跡を「韓国カトリック教会発祥の地」として整備したところである。李檗、権哲身、権日身、李承薫、丁若鍾ら創設先祖5位の墓域と、朝鮮教区創設者である聖丁夏祥パウロらの墓域、広岩教会、天真庵博物館、韓国カトリック教会創設史研究院があり、100年計画で推進される天真庵司教座聖堂の敷地が用意されている。
歴史
天真庵(天眞菴)は、もともと退村面牛山里エンジャボンの下にあった寺院である。広州市ホームページは、この寺が1779年前後には廃寺になったと推定されると紹介するが、韓国民族文化大百科は、洪敬模が1847年に編纂した『中正南漢志』に天真庵がエンジャ山の古い寺として紙を漉き司饔院に属していたと記されているため、その時まで存続していたと見られると説明する。同項目によれば正確な創建年代は明らかでなく、天真庵は住余寺の付属寺院として言及され、丁若鏞が書いた権哲身の墓誌銘には「天真庵住余寺」と共に記されている。丁若鏞は数回天真庵を遊覧のため訪れ、1824年に流配から戻って訪ねた時にはすでに衰微しつつあったが廃寺ではなかったと見られる。
グッドニュースの聖地紹介によれば、韓国カトリック教会の出発は李承薫が北京で洗礼を受けて戻った1784年春とされるが、それより5年さかのぼる1779年冬の天真庵住余寺ですでに教会史が始まっていた。当時権哲身が主宰した講学会には権哲身・日身兄弟、丁若銓・若鍾・若鏞兄弟、李承薫ら10人余りの学者が集まり、李檗の参加とともに西学に対する学問的知識が宗教的信仰へと発展する契機が設けられた。講学会が終わる頃に李檗が作った「天主恭敬歌」と丁若鍾が作った「十誡命歌」はその結実として紹介される。
韓国カトリック司教会議列福列聖司教特別委員会の関連聖地案内文は、天真庵を韓国カトリック教会創設の背景であり起源となった講学の場所として説明する。権哲身アンブロシオが門弟である丁若銓、金元性、権相学、李寵億らを率いてほぼ毎年主に冬に講学し、特に1779年冬の講学の際に李檗ヨハネ洗礼者が知らせを聞いて雪の降る夜に訪ねて参加することで、カトリック信仰を含む西学が本格的に研究・討論された。案内文は、ダブリュイ司教が1779年の講学で天、世の中、人生などに関する問題と既存の学者たちの意見、聖賢たちの倫理書、哲学、数学、宗教に関連する西学書などが研究・討論されたと記述したと伝える。
ただし韓国民族文化大百科「韓国カトリック講学地」項目は、天真庵と住余寺でのカトリック講学が始まった時期が1777年なのか1779年なのかは論者により異なる認識があり、二つの寺がカトリック講学と関係がないという主張もあって、どちらか一方の主張が正しいと断言するのは難しいと評価する。この項目によれば、ダレの『韓国カトリック教会史』は1777年雪に覆われた冬に人里離れた寺で開かれた講学を叙述し具体的場所を記さず、丁若鏞が書いた権哲身の墓誌銘は「過ぎた己亥年(1779)冬に天真庵住余寺で講学する際、雪の降る夜に李檗が訪ねてきた」と年代を明らかにする。丁若鏞の仲兄丁若銓の墓誌銘には住余寺で金元性・権相学・李寵億らと学問を身につけたと記されている。
李檗の勧めで北京に行きペトロという名で洗礼を受けて戻った李承薫は李檗に最も早く洗礼を授け、李檗は馬峴の丁若鍾兄弟たちと楊根の権哲身・日身兄弟たちに伝道した。その年秋にはソウル明礼坊の中人出身の通訳官金範禹を入教させ、首都の真ん中に韓国カトリック教会の基盤を設けた(グッドニュース)。
天真庵は長い間忘れられていた。グッドニュースは1960年になってようやく地名が文献に根拠づけて明らかにされ、村の老人たちの証言と踏査で価値が明らかになり始めたと説明し、韓国民族文化大百科は天真庵跡を1962年代に南相喆が確認し、同年住余寺跡も朴永所老人の助けで確認したと記す。聖地としての開発時期は出典ごと叙述が異なる。天真庵聖地公式ホームページの年度別聖域化過程によれば、卞基英神父が1975年に天真庵跡を踏査して買収を推進し始め、1978年に跡地3000坪余りを買収し、その年10月10日に初めて「韓国カトリック発祥の地」を確保して御言葉の典礼を跡地で挙行した。韓国民族文化大百科は卞基英神父が1975年に3000坪余りを買収したのを始めに1983年まで周辺計20万坪を買収して聖地として開発したと記し、グッドニュースは1980年6月に一帯12万坪を買収したと記す。カトリック新聞の水原教区史連載は、教区が天真庵跡に注目して1978年に土地を買収したと伝える。
公式ホームページの聖域化年表によれば、1979年に李檗の墓を発見して改葬し、聖地4万坪余りを確保し、南漢山城で韓国カトリック教会200周年記念行事を挙行した。1980年には200周年記念碑を建立し、李檗墓の防湿分析室と祭壇石を完成し、カルメル修道院仮建物を完成し、李檗墓改葬1周年ミサを奉献した。グッドニュースは1980年6月24日に盧基南大司教の名で韓国カトリック創設200周年記念碑が除幕されたと伝える。1981年6月24日には韓国カトリック教会創設記念日制定運動の一環として初の慶祝行事を開いた。カトリック新聞はこの行事に金南洙司教、ソウル大司教区長盧基南大司教、駐韓教皇大使ルチアノ・アンジェローニらが出席したと報じた。
1981年11月には創設先祖の墓が相次いで改葬された。公式年表によれば11月1日に華城から丁若鍾の墓を、11月21日に楊根孝子峰から権哲身・権日身の墓を、11月29日に仁川万寿洞から李承薫の墓を改葬した。丁夏祥の墓は同年3月24日の踏査で確認され、丁若銓の墓誌石は10月3日に忠州で確認された。1982年には創設聖賢墓域の石段44段が完成し、1984年には創設先祖5位である李檗・権日身・李承薫・権哲身・丁若鍾の墓碑と聖丁夏祥の墓碑が建立された。1987年には朝鮮教区創設者(聖丁夏祥、聖兪鎮吉)墓域造成第1段階土木工事が終わり、丁若銓夫妻、丁若鏞の祖父母と父母、李檗の父母・姉・弟ら創設先祖直系家族12名の墓が改葬された。
韓国カトリック教会創設史研究院は1982年に設立され(グッドニュース)、公式ホームページは研究院建物が1984年に開館して正常業務を開始し1986年に落成したと記す。天真庵巡回教会は1985年2月5日に準小教区広岩教会に昇格し、初代主任は卞基英神父であった。広岩教会の保護聖人は洗礼者ヨハネ広岩李檗であり、祝日は6月24日である。広岩教会略史によれば、1976年に新章本堂主任であった卞基英神父が退村面と南宗面の司牧管轄を引き継ぎ、1994年に広岩小聖堂が竣工し、2001年には鹿岩巡回教会新築敷地700坪が寄贈された。天真庵本堂は2006年に退村へ移転して退村本堂に名称が変わった(公式ホームページ年度別聖域化過程)。
カトリック新聞の水原教区史連載によれば、教区は1979年に発見された李檗の墓から遺骸を改葬しながら聖地開発が本格化し、1981年11月に丁若鍾、李承薫、権日身、権哲身の墓を天真庵へ改葬した。この時期水原教区長金南洙司教は創設先祖たちの列福列聖を大きく推進し、1984年に「韓国カトリック教会創設先祖である広岩李檗とその同僚殉教者および証拠者たちの列福推進審査」の着手を宣言した。1985年に司教会議が列福推進を教区別に分離することにし、水原教区は「創設主役5位列福」に乗り出すことになったが、1988年に103位聖人への信心萎縮を理由に保留された。
司教座聖堂建立は1986年に100年計画として確定された。公式年表によれば1987年に地均し第1段階工事を終え、1992年に天真庵博物館が設立され100年計画天真庵司教座聖堂跡が祝別された。1993年には定礎式が3万人の信者が参加する中で挙行され、教皇ヨハネ・パウロ2世が定礎祝別文を下され、堤川産石材で作った27トンの定礎石が祝別・安置された。1994年には司教座聖堂中央祭壇石(86トン)が祝別され、1996年には司教座聖堂建築許可を受け5000名が出席する中で最初の柱着工式を挙行した。1998年1次設計変更で床建坪3300坪の建築許可を受けた。グッドニュースは司教座聖堂工事が2000年まで土木工事を終え2020年まで基礎工事を進行中であり、2040年骨組、2070年組積、2079年仕上げ工事を経て3万席規模の司教座聖堂が完成予定と紹介する。
2012年8月17日に卞基英モシニョールが元老司牧者となり、8月28日に金学烈神父が専任として赴任した(公式年表)。公式年表は2013年5月23日付で教皇庁列聖省が「神のしもべ李檗ヨハネ洗礼者と同僚132位」列福推進を正式承認したと記録し、2014年8月16日にソウル光化門広場で丁若鍾アウグスティノが列福されたと記す。グッドニュースによれば2013年6月23日に聖母経堂と司教座聖堂跡の中間に「世界平和の聖母像」が建てられ祝別され、2016年10月29日に既存の聖母経堂をリモデルした聖母聖堂の奉献式が挙行された。
建築と空間
グッドニュースは1994年に聖地入口に広岩李檗を記念する広岩教会が建てられ1999年に聖母経堂奉献式を行ったと説明する。天真庵博物館は1992年に建立認可を受け1995年に起工式を行い2011年に建物工事を終えて祝別式を挙行し、内部展示室と収蔵庫工事は継続進行中という。公式年表によれば博物館本館は1994年に着工し2006年に3階延建坪1350坪鉄骨造組立に入った。聖母聖堂(240坪鉄骨造)は1995年に鉄骨と銅板屋根が完了した。
グッドニュースによれば2013年6月23日に聖母経堂と司教座聖堂跡の中間に台座含め22メートルの高さの「世界平和の聖母像」が建てられた。すべての国家と民族の信仰の自由と平和を祈るため青銅でファティマの聖母像の形に製作した。公式年表はこの聖母像の青銅重量を25トン、聖母像高さを15メートル、鉄骨ビーム・石造台座高さを7メートル、全体高さを22メートルと記す。司教座聖堂跡には野外ミサを奉献できる石祭壇が設けられている(グッドニュース)。
司教会議関連聖地案内文は天真庵聖地の「韓国カトリック教会創設先祖5位墓域」に福者丁若鍾アウグスティノ、神のしもべ李檗ヨハネ洗礼者、権日身フランシスコ・ザビエル、権哲身アンブロシオ、李承薫ペトロの墓があると説明する。案内文で紹介された墓は、鹿岩権哲身アンブロシオ(1736~1801)、直岩権日身フランシスコ・ザビエル(1742~1791)、広岩李檗ヨハネ洗礼者(1754~1785)、満川李承薫ペトロ(1756~1801)、先岩丁若鍾アウグスティノ(1760~1801)である。丁若鍾の遺骸は殉教後故郷馬峴付近の上ペアルミ検丹山ふもとに葬られたが、100年余り後に子孫が住んでいた安山四寺洞の先山に改葬され、今は天真庵聖地に安置されている。案内文は李檗の真墓跡が京畿道抱川市華賢面に、李承薫の真墓跡が仁川南東区長寿洞にあると付け加える。
「朝鮮教区創設者墓域」には聖丁夏祥パウロ、聖兪鎮吉アウグスティノ、福者丁哲祥カルロの墓がある(司教会議関連聖地案内文)。丁夏祥の墓は殉教後ペアルミ里(現河南市ペアルミ洞)に葬られたが、1981年に当時河南新章本堂主任であった卞基英モシニョールが発見したものの土地所有者が破墓・焼却したため遺骸が焼失し、破墓された周辺から歯1個と骨片2個など遺骸3点と骨粉、棺片などを収拾して天真庵聖地に安葬したという。グッドニュースは聖地入口三叉路から右側へ上がれば丁夏祥と兪鎮吉聖人墓域と創設先祖家族墓域があると案内し、入口側には水原教区が委託運営する京畿道青少年野営場があると紹介する。公式年表は2014年に丁夏祥墓域に福者丁哲祥墓を追加造成したと記す。
信仰的意義と訪問の案内
広州市ホームページは天真庵を儒教の若い儒者たちが仏教庵でカトリック教理を研究し実践して教会を建てたところであり、宣教師なしに自発的に信仰生活が始まったところとして紹介し、丁若鏞が15歳の時から1827年65歳までの50年間ここを訪ねて詩を作ったと説明する。広州市ホームページはまた広州地域が韓国カトリックの発祥地であり、1779年講学に李檗、権哲身、権日身、丁若銓、丁若鍾、丁若鏞、李承薫、尹有一、李存昌、李寵億ら主に南人系学者が参加したと記す。
グッドニュースによれば韓国カトリック教会創設記念行事は毎年洗礼者聖ヨハネ誕生の祭日(6月24日)に開かれ、11時に創設慶祝ミサを奉献する。ろうそく祈祷会は毎月第一土曜日17時にロザリオ10連と18時に聖母信心ミサで行われ、予備信者黙想会と毎月第一月曜日の千送い祈祷会(ロザリオ千連)も案内されている。公式年表は1981年初めての創設記念日行事以後毎年6月24日に記念行事を挙行し、1998年から毎月第一土曜日夜にろうそく祈祷会を開いたと記録する。
関連する場所と人物
- 住余寺跡:天真庵住余寺講学会が開かれたと伝えられる寺跡で、驪州市山北面にある(韓国民族文化大百科)。
- 李檗ヨハネ洗礼者(1754~1785):1779年冬の講学会に参加し、広岩教会の保護聖人である。
- 権哲身、権日身:講学会を主宰し洗礼を受けた兄弟学者で、天真庵聖地に墓がある。
- 李承薫ペトロ:北京で洗礼を受けて戻った韓国最初の洗礼者で、墓域が造成されている。
- 丁若鍾アウグスティノ:2014年8月16日に列福された。
- 聖丁夏祥パウロ、聖兪鎮吉アウグスティノ、福者丁哲祥カルロ:朝鮮教区創設者墓域に安置されている。
- 卞基英モシニョール:1975年から天真庵聖地開発を率い、2012年8月に元老司牧者となった司祭である。
- 大甘村と住余寺(楊平郡江上面大石里一帯):権哲身・権日身が住んでいたところと住余寺跡をグッドニュースは韓国カトリック教会の揺籃地として紹介する。
参考資料と出典
- 天真庵聖地公式ホームページ、天真庵聖地発展史:年度別聖域化過程。1975~2015年聖域化進捗、創設先祖墓改葬、司教座聖堂定礎と着工、世界平和の聖母像諸元を確認した。
http://www.chonjinam.or.kr/client/content/viw.asp?pn1=1&pn2=2&pn3=7 - 天真庵聖地公式ホームページ、創設先祖墓改葬過程。改葬日付と墓碑建立を確認した。
http://www.chonjinam.or.kr/client/content/viw.asp?pn1=1&pn2=2&pn3=6 - 天真庵聖地公式ホームページ、広岩教会。設立日、保護聖人、略史を確認した。
http://www.chonjinam.or.kr/client/content/viw.asp?pn1=4&pn2=2 - グッドニュース・カトリック情報、水原教区天真庵聖地。講学会と創設過程、聖域化事業、司教座聖堂計画、博物館と聖母像、信心行事を確認した。
https://maria.catholic.or.kr/sa_ho/list/view.asp?ctxtOrgNum=2327&menugubun=holyplace - 韓国カトリック司教会議列福列聖司教特別委員会、関連聖地天真庵聖地。講学説明、創設先祖5位墓域と朝鮮教区創設者墓域を確認した。
https://cbck.or.kr/koreanmartyrs/Shrines/43 - 韓国民族文化大百科事典、韓国カトリック講学地。天真庵と住余寺の来歴、1960年代確認、聖地開発時期、講学年代論争を確認した。
https://encykorea.aks.ac.kr/Article/E0081603 - 広州市庁、天真庵と韓国カトリック。天真庵の位置づけと広州地域カトリック伝来を確認した。
https://www.gjcity.go.kr/portal/contents.do?mId=0101060400 - カトリック新聞、水原教区史ワンページ(5)信仰先祖列福列聖運動と聖地開発(2026年2月24日)。1978年土地買収と1979年李檗墓改葬、1981年行事を確認した。
https://www.catholictimes.org/article/20260220500031
文書情報
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- 2026年10月20日 02:28
- 最終更新
- 2026年10月20日 02:28
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韓国カトリック場所百科, "天進岩聖地", 最終更新 2026年10月20日 02:28. https://missamap.com/ja/kr/suwon-cheonjinam-shrine/wiki/