この場所について
妙斎は、原州教区の聖地・史跡で、聖ナム・ジョンサム(ヨハネ)と殉教者ナム・サンギョ(アウグスティノ)父子の信仰の記憶が残る場所である。GoodNewsカトリック情報の聖地資料は、ここを「妙斎(聖ナム・ジョンサム、殉教者ナム・サンギョ・アウグスティノの旧宅)」として紹介し、ナム・サンギョが官職を退いて信仰生活に専念しながら暮らした家が残っていると説明する。したがって、ここは通常の小教区や聖堂建物ではなく、一つの信仰家庭と韓国カトリック迫害期の記憶を保存する殉教史跡としての性格が中心である。
妙斎を理解する鍵は、聖ナム・ジョンサム個人の殉教だけでなく、彼が信仰を学び受け継いだ家族共同体の跡を共に見ることにある。ナム・サンギョはナム・ジョンサムの伯父であり養父で、妙斎で信仰に専念しながら息子に信仰の教えを伝えた。このため旧宅は、一人の聖人を記念する場所を超えて、信仰が一世代から次の世代へ伝えられた姿を示す場所となっている。今日の妙斎は、韓国カトリックの殉教信仰を家族と生活の歴史の中で黙想できる静かな巡礼地として理解することができる。
歴史と由来
妙斎の歴史は、ナム・サンギョ・アウグスティノが官職と世俗生活から退き、信仰に専念する道を選んだことから理解できる。GoodNewsの資料によれば、ナム・サンギョは丁若鏞の学統を継ぐ学者で官職にも就いたが、西学書を通してカトリック信仰を受け入れ、官職が信仰生活の妨げになると考えて山間の妙斎へ移り隠遁した。現在残る旧宅は、彼が信仰を生活の中心に置いて暮らした場所であり、養子としたナム・ジョンサムに信仰を教えた場所でもあった。
ナム・ジョンサム・ヨハネは1817年に生まれ、成長後に伯父ナム・サンギョの養子となった。1838年に文科に合格し、その後さまざまな官職を経て承政院承旨にまで上り、王室の教育にも関わった。一方で、西学とカトリック信仰を受け入れ、学問と信仰を共に深めていった。官職にある信者が公に信仰を守ることが困難だった時代に、妙斎で受け継がれたナム・サンギョの教えは、ナム・ジョンサムの信仰形成の重要な背景となった。
1866年に丙寅迫害が始まると、ナム・ジョンサムは殉教を覚悟して漢陽へ向かう途中で逮捕され、同年3月7日に西小門外の刑場で殉教した。後に彼は韓国の殉教聖人の一人として列聖され、敬われている。妙斎は彼の殉教地ではないが、殉教へと至る信仰が家庭の中で育まれ、受け継がれた生活の現場という点で重要である。
現在残る旧宅と史跡は、ナム・サンギョとナム・ジョンサム父子の関係、学問を通して受け入れた信仰、迫害の中でも守られた良心を一つの場所で記憶させる。妙斎の意味は古い家屋一棟を保存することだけではない。韓国カトリックの殉教信仰が、個人の英雄的な決断だけでなく、家庭の教育と日常の信仰生活の中で育ったことを示す歴史的な場所である。
韓国カトリック場所百科事典
ミョジェ(聖人 ナムジョンサム ・ 殉教者 ナムサンギョ ユテクチ):歴史と建築
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建物情報
- 乗用エレベーター 0台
- 地上 1階 · 地下 0階
- 1960年使用許可
- 延べ床面積 63㎡
建築物台帳の記録 · · 出典
障害のある方のための設備情報
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出典・更新情報
- 情報の状態
- 公式情報
- 出典
- 公式情報源
- データの新しさ
- 新しい
- 最終更新
- 出典
- 한국천주교주교회의 온라인 주소록
教区
ウォンジュ教区 (Diocese of Wonju)
公式ウェブサイト: http://www.wjcatholic.or.kr
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