上州オクタ殉教聖地

聖地

상주 옥터 순교성지

경상북도 상주시 남문2길 89-15 (성동동)

この場所について

尚州オクト殉教聖地は、安東教区が指定する殉教聖地であり、韓国カトリック住所録では南城洞小教区の管轄にある聖地として登録されている。かつて尚州官衙の牢獄があった場所と伝えられ、朝鮮後期の迫害期に慶尚道北西部のさまざまな信徒村から捕らえられたカトリック信徒が収監され、信仰を証しした記憶を伝えている。

現在のこの聖地の意味は、殉教事件を単に列挙することにあるのではない。ここに閉じ込められ、尚州で命を失った人々や、別の地域へ移送されて殉教した信仰の先人たちを、一つの場所で記憶し祈ることにある。安東教区はここを公式聖地として管理し、尚州地域の迫害史と殉教者への信心を結ぶ巡礼の場として保存している。 この聖地は聖堂建築を鑑賞する場所というより、牢獄という場所の記憶を通して迫害された信徒の選択を黙想する場所に近い。尚州で直接殉教した人々と、他都市へ護送された人々の道がここで交差したため、オクトは複数の殉教地や信徒村を結ぶ「記憶の門」の役割を果たす。この点が、主に墓地や墓所を中心とする殉教聖地とは異なる特色である。

歴史と由来

尚州オクトは、朝鮮時代の尚州官衙の牢獄跡と伝えられている。安東教区の聖地案内は、慶尚監営が尚州に置かれていた1408年頃に牢が設けられたと推定し、朝鮮後期のカトリック迫害期には慶尚道北西部で捕らえられた信徒がここに収監されたと説明している。尚州は、複数の信徒村と官衙を結ぶ迫害行政の拠点の一つであった。

1827年の丁亥迫害ではチャッコル、モンエモク、エンムダンなどの信徒が捕らえられ、1866年に始まる丙寅迫害ではハンシル、ヨウモクなどの信徒もここを経た。一部は尚州で処刑され、一部は大邱や全州へ移送されて殉教した。教区資料は、正式な報告より先に処刑を行う「先斬後啓」の方式で命を奪われた例もあったと伝えている。

この牢獄と関係する殉教者のうち、シン・テボ(ペトロ)とチェ・ジョイ(バルバラ)は全州へ、パク・ギョンファ(パウロ)、パク・サウィ(アンデレ)、キム・サゴン(アンデレ)、イ・ユニル(使徒ヨハネ)は大邱へ移送された後に殉教した。この6人は、2014年8月16日に訪韓した教皇フランシスコが司式した列福ミサで、他の殉教者とともに福者に列せられた。

安東教区は同年8月24日、尚州オクトを教区の殉教聖地として公式に宣言し、祝福式を行った。かつて抑圧と拘禁の場所だった牢獄跡は、殉教者の信仰を記憶し祈る場所へと転じた。現在の聖地は、19世紀の迫害現場と21世紀の殉教者顕彰を直接結ぶ歴史的なしるしとなっている。 2014年の聖地指定は、同じ月に行われた列福と結びつき、オクトの意味を新たに整理した出来事だった。牢獄と関係する殉教者が公に福者として宣言された後、教区は彼らが収監され、移送された尚州の場所を公式の巡礼空間として整えた。この順序は、オクトが単なる旧官衙遺構ではなく、文献に残る殉教者の歩みを現在の場所の記憶と結びつけるために聖地となったことを示している。

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上州オクタ殉教聖地:歴史と建築

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建物情報
  • 乗用エレベーター 0台
  • 地上 1階 · 地下 0階
  • 2014年使用許可
  • 延べ床面積 97㎡

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教区

安東教区 (Diocese of Andong)

公式ウェブサイト: http://www.acatholic.or.kr

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